イタリアのかかとってどんなところ?

イタリアのかかとってどんなところ?

"Cartoline dal Salento" = サレントからの絵はがき

南イタリアのサレント。
その土地や、そこで人生を謳歌する人々の姿をイキイキと感じられる絵はがきの
ようにお届けしたい、そんなイメージでスローライフなブログを綴っています。
サレント郷土料理のレシピやイタリア語のワンポイントレッスンも登場します。
どうぞごゆっくり、楽しんでいってくださいな^^

2010/08/31

イタリア感たっぷり♥のベランダ菜園やってます♪

Ciao a tutti! みなさんこんにちは♪


まだまだ暑いですねぇ〜(>_<;)こちら大阪もおととい8/29()は今夏一番暑い日となり、昨日はギリギリ35℃に届かなかったので、結果的に『14日連続猛暑日』というありがたくない新記録となりました..^ ^;)
しかし昨日あたりでも夜にジョギングで淀川の河川敷まで行ってみたら、風もなんとなーく秋の気配が感じられ、虫の鳴く音も澄んだ涼しげな秋の音色が聞こえるようになってきています。

みなさんの街はいかがですか?今年は猛暑をはじめ、局地的豪雨や野菜の価格高騰のニュースも多く耳にしましたね…涼しくなってからも八百屋さんやスーパーで野菜の値段が気になるところです。

僕たちFracciaMacciaは、いま大阪市内のマンション暮らしで新婚生活2年が経とう(2年じゃまだまだ新婚て言っていいですよね?^^)としているところですが、普段の食生活についていいますと、南イタリアのプーリア州レッチェ県出身の奥さん(Fraccia)が作る料理ですからやっぱりイタリア料理、とくにNonna (ノンナ=おばあさん) Mamma (マンマ=お母さん)に教わったサレントの郷土料理が得意なわけです♪
イタリアと日本の食が混ざることもしばしば、この『イタリアン冷や奴』も我が家の定番です ^^ →

さすがに大都市の街中なので近所のスーパーや輸入食材屋さんに行けばイタリアの食材もたいていのものは簡単に手に入りますが、なんといってもイタリア現地価格に比べるとどうしても値段が高い! (@_@;)という悩みがあります。
なので結局イタリア産のチーズやワイン、そして肉加工品などはたまーにしか買いません。。。ドライトマトやオリーブオイルなどはもっぱらイタリアから持参です。
一方たとえばトマトやバジルやズッキーニなどイタリア料理にお馴染みの生鮮野菜ですが、これまた日本だと510倍の値段と言っても過言ではありません

これじゃあせっかく新鮮な野菜をおいしく食べるサレント郷土料理のレシピを知っているのに惜しいなぁーもったいないなぁーということで、大阪に引っ越してきてから僕たちは自宅のベランダで小さな家庭菜園をはじめたんです♪ (小さなちいさなプランターですけどね^^

食べることが大好きなFracciaMacciaですから、まず育てる植物の第一条件はもちろん「自分たちが好きな、食べられるもの」(笑)
そうすると、やっぱり上にも書いたように「買うより自分で栽培した方がお得かもー」ということで必然的にイタリア料理用の野菜たちを育てることになります♪

まずはミニトマト♪ 
今年からの新顔  ミニトマト Pomodorini/ポモドリーニ)です 
4月にタネを蒔いて、一週間もたたないうちにピョコっとこんなに小さな芽が顔を出しました。







それから紙コップでの培養中にぜーんぶ発芽してしまったため、ずいぶんと間引きました。間引いた芽は試しにスプラウトとしてサラダに混ぜて食べてみたらなかなかイケてました♪ブロッコリースプラウトの次はトマトスプラウトがくるかも?!
残った株たちがグングンと背を伸ばしていますが、なっかなか花が咲きませんねー。ちゃんと実をつけてくれるかしら??と初めての栽培なので心配していましたが。。案の定。。けっきょく今年はグングンと背が高く伸びただけで終わりそうな気配です^^;

がんばれープチトマトォオー! 来年は今年の反省をふまえて「1株集中作戦」でいくから実をつけてちょーだいっ
一株から数十いや数百個ちかく採れるという話なので、来春に再チャレンジです☆

ちなみにミニではなく普通のトマトのことをイタリア語で Pomodori ポモドーリ)といいます。これを分解すると "Pomo (ポモ = リンゴ)" + "d'oro (ドーロ = 黄金の)"、つまり "黄金のリンゴ" という名前。「赤いのになぜ黄金?」って思いますよね?
じつはその昔ヨーロッパに伝えられた当初のトマトは、その名のとおり黄色あるいは黄金色をしていたそうで、その後の品種改良で赤くなったんですねぇ。

それから、これもよく知られた話ですが、トマトは中南米原産で、16世紀にヨーロッパへ持ちこまれた当初は観賞用だったそうです。 
しかしその後まもなくヨーロッパ中で流行ったペストや天候不順などにより食糧難に陥った腹ペコの人たちが食べだしたのが、トマトの食べ初めだそうです。今では種類もたくさん、イタリアのトマトの代表品種といえばやっぱりSan Marzanoですかね☆



さーて、おつぎはバジル♪
わが家のベランダ&食卓のエース バジル Basilico/バジリコ)ですパチパチパチーッ(^O^)/  
今年で2シーズン目です(バジルは1年性植物なので毎年買い替えです)。
410月にかけて半年ものあいだドンドンとっては食べ、取っては食べても、忙しいほどにまた新しい葉をつけてくれます。ものすごい生命力!
10月を過ぎてすこし寒くなってくるとさすがの生命力のバジルも御役御免となりますが、最後に残ったバジルの葉ものこさずに、松の実(Pinoli/ピノーリ)オリーブオイル(Olio d'Oliva/オリオ・ドリーヴァ)そしてニンニク(Aglio/アィリヨ)などと一緒にミキサーにかけてジェノベーゼソース(Pesto genovese/ペスト・ジェノベーゼにします。
本場イタリアでも人気のあるソースですが、単に "ペスト"と呼ばれることの方が多いです。
こんな感じで小さいびんに小分けにして冷凍保存しておくと便利ですよ♪


今年のわが家のバジルはぜんぶで8株。 Macciaのお母さんが近所のホームセンターで安くたくさん買ってきてくれました。
ウチに来た時はまだこんなに背も低かったんですねぇ! 毎日ベランダに出ると、バジルのフレッシュないい香りです♪

イタリアではバジルのかおりには蚊除け効果があるとされ、キャンプに行くときなどもバジルの葉っぱを持っていったりするんですよ。たしかにうちもバジルのおかげなのかベランダに蚊が少ないかもしれません。そのかわり、いも虫たちには人気が高いような気がします(梅雨のあいだには珍客 "カナブン" も雨宿りしながら大きな葉を23枚ムシャムシャ食べていました)。きっと美味しいんでしょうね!

「バジルはたくさん育ててもこんなにどうやって食べたらいいのか、よくわからないのよねぇ」とMacciaのお母さんは言ってますが、たしかに日本の家庭ではそれほど馴染みのある野菜ではないでしょうから、どうやってバジルを食べようか考えてしまうかもしれませんね?
イタリアではそのままサラダに混ぜても食べますし、ピザのトッピングとして主役級の働きもしますし、パスタにちょっと添えたり、細かく刻んでいろんな料理にかけたり和えたりすれば薬味や香味として渋い脇役にもなります。生で食べてもよし、火を通してもよしです♪


そしてお次は、これまた今年初めてのチャレンジ野菜、 ズッキーニ Zucchine/ズッキーネ)です 

こまかい話ですが、単数形はZucchinaズッキー)、複数形はZucchineズッキー)ですから、なぜ "ズッキー" と日本で呼ばれているのか?
Macciaは以前からちょっとナゾに思っているんですが、たしかに現代イタリア標準語のもととなったトスカーナ地方では、単数形がZucchino(ズッキー、複数形がZucchini(ズッキーというみたいです。
けどプーリア州やレッチェ県だけでなく、イタリアを南から北まで見渡してみると、普通は圧倒的にZucchina / Zucchineというわけで。。。おそらくイタリア系移民が多く住むアメリカでZucchineと書いて "ズキーニ" と発音するため、アメリカから日本に輸入されるようになった(?)経緯なんかも関係しているんじゃないか? なんてMacciaは勝手に想像していますが真相やいかに?? スーパーで見かけるたびに気になってしかたないんですよー^^
 
まっそれはともかく、ズッキーニも4月にタネを蒔いてスクスクと育ち、大きな葉っぱを我が物顔でたくさん広げて同じ鉢に植わったミニトマトの日照権を脅かしているほど(笑)
見てください、最初はこんなに小さくて肉厚なかわいらしい双葉だったんですよー! 芽を出したと思ったらドンドン伸びて、ものすごい生命力です!
陽の光をあびてスクスク、本葉も出てきて仲良くならんでます。思えばかわいかったのはこの段階くらいまでで、もうこれ以降は、ただひたすら逞しかったです。






葉っぱも花もカボチャに似てますね、ズッキーニってカボチャの仲間(ウリ科?)かな?
とにかく小さいなりにもめでたく収穫できまして、両親におすそ分けしたり、我が家の焼肉の鉄板にのぼったりしたわけです^^ 自分で手塩をかけて育てた分、おいしさもアップです♪





それからこれは種をまいた時点ではおまけのような存在のつもりでしたが、ところがどっこい今ではいっぱい収穫できてとってもお世話になっている()のが、紫蘇です イタリア野菜に負けじと日本の夏を彩る薬味野菜。がんばってますよ^^
大葉の天ぷらはFracciaMacciaふたりとも大好物ですが、刻んで冷や奴や冷やしつけ麺などの薬味にもいいですよねぇー♪


あともうひとつ、こちらもイタリアではほとんど見かけない野菜ですが、オクラです★ この子はウチで種まきをしたわけではなく、夏のあいだ、Macciaの両親が家を留守にしている間ウチで預かるために、大きくなってからやって来たんです。その間に世話係の "役得" で、見事な実がなりました♪
ほら!なかなか立派でしょう? 





ちゃんとお母さんに許可をもらって(笑)天ぷらにし、美味しくいただきました♡ ^^
オクラもカボチャとかズッキーニに似た黄色い花が咲きました。
余談ですが、オクラって英語でも"Okra"って言うんですよね。アメリカ大陸原産かな?と思って調べてみたらアフリカ大陸原産なんだそうです。イタリアのスーパーではFracciaも見たことないほどマイナーな野菜なので、なんと呼ばれているのかも分からないですが、やはりおいしい夏野菜ですよね

以前、サレントの郷土料理研究家Piceciさんをご紹介した回(コチラです)に、「サレント料理の主役は、地元産の太陽に育てられた野菜たち」だと書きましたが、ウチのベランダには無いものの、サレントを代表する夏野菜の Melanzane(メランツァーネ 茄子)は、Fracciaの大好物♪♪♪  揚げてよし焼いてよし、はたまた酢漬けにしてもよし、たまりませんねー!
← おばあさんやお母さんから教わったFracciaの実家直伝の定番ナス料理、Parmigiana(パルミジャーナ)

これは (たしか) シチリア発祥ですが、今では南イタリア一帯で定番の家庭料理で、ラザニアのパスタの部分を、薄切りのナスに置き換えて同じように何層にも重ねてあります。



プーリア州の野菜で、日本では珍しいところでは、 Fiori di zucca(フィオーリ・ディ・ズッカ カボチャの花)Foglie di Salvia(フォイェ・ディ・サゥヴィア サルビアの葉)などをフライ(fritti・フリッティ)にしたものが Macciaは好きです♪ 

そしてなにより一番サレントの夏野菜を代表するのが Rucolaルッコラ)ですが、こちらは野生じゃないとルッコラ独特の香りや苦みが味わえないので、家庭菜園では出来ないんです。。。残念!
だからFracciaに言わせると、日本のスーパーで買うルッコラは、見た目も味も香りもルッコラではない、そうです。^ ^;)

おなじく「パセリ」もイタリアのものと日本のものでは全然ちがうんです。だからウチの近所のスーパーでも、もう全くの別物として「イタリアンパセリ」(Prezzemoloプレッツェーモロ)として売っています。
← こちらはおなじみ「日本のパセリ」

葉っぱが縮れているのが特徴的ですよね。









← そしてこちらが「イタリアンパセリ」のPrezzemolo。
 イタリアンパセリは見ためがちょっと春菊っぽいですよね。じつはFracciaは日本に来て初めて春菊を見たときに「あ、prezzemoloだー!」ってまちがえちゃったくらいなんです(笑)
このイタリアンパセリ、prezzemoloはイタリア料理ではば広く使われているため、こんなことわざがあるくらいなんです。
"Essere come il prezzemolo (in ogni minestra)"。 直訳すると「どんなスープにも入っているパセリみたい」、つまりは「どこにでも出しゃばる」人のことを言うときに使います^^

さーて今回も終わりが近づいてきました。 今回はいつもと趣向をちょっと変えて、サレントを離れFracciaMacciaのベランダからイタリア菜園についてお伝えしましたが、いかがでしたでしょーか? 

サレント半島をはじめプーリア州は野菜が美味しいことでイタリア国内でとても定評があり有名な場所です。土壌豊かで水はけもいいし、なんといっても太陽の恵みがたっぷり♪ 
それにはまったく及ばないけど、少しでも日本にいてもFracciaの故郷サレントを感じられるようにと、僕たちも小さいベランダで野菜作りを楽しんでいます。
お庭の方もベランダの方も、みなさんご一緒にオーガニックで美味しいイタリア菜園をやってみませんか?
食卓がもっと美味しく楽しく明るくなって、心もなんとなーく癒されますよ

そして南イタリアを旅行する際は、観光ばかりでなくぜひプーリア州の、野菜の美味しい郷土料理もたっぷり味わってくださいね!

それではまた次回お会いしましょう!
Allora, alla prossima.....magari dall'Italia!!


次回予告 
灼熱の大阪から脱出!というわけで僕たちは、あさって9/2()から1ヶ月半、南イタリアはサレント半島にあるFracciaの実家に帰省してきます !
ギリシャ旅行や、レッチェから車でのナポリやアマルフィ巡り、さらに北イタリアはアルプスの山麓で開かれる親友の結婚式に出席など盛りだくさん♪ 
たまにはブログらしく(笑)、イタリア滞在中にライブ感のある実況中継のような書き込みができればなぁーと思っています。
乞うご期待!


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2010/08/18

〜 サレントをゆく 〜 Otranto オトラント編(その2)

Ciao a tutti! みなさんこんにちはー☆ 


さてさて "サレントをゆく"シリーズの第2弾ということで、前回からOtranto (オトラント) の街を訪れています。
といってもずいぶんと間があいてしまったのですが、今回もその後編をお届けしたいと思いまーす♪


イタリア最東端の街 、つまりイタリアで太陽が生まれる街 」オトラントは、レッチェ市から南下して、イタリア半島の "かかとの底" にさらに近づいたところにある小さな港町ですが、侮るなかれ。びっくりするほど見どころ満載ですよ!
それではさっそく参りましょー♪



オトラントより北にあるレッチェ市 (Lecce) 方面、あるいは西にあるガッリーポリ市 (Gallipoli) やマッリェ市 (Maglie) などからオトラント (Otranto) を訪れるとき、たいていの場合は海辺に広がるオトラントの街全体を望む丘をいっきに下り街へと入ることになります。


見てください、この透きとおるような水をたたえたきれいな港!オトラント港 (Port d'Otranto) は、かつて古代ギリシャやローマ帝国時代から中世にかけての長い年月、文字どおり「西洋と東洋の架け橋」として文化や交易の重要な要衝にありましたが、近代以降は同じプーリア州内でも北部にあるバーリ市 (Bari)やブリンディシ市 (Brindisi)に貿易の中心をとって代わられ、いまとなっては小型漁船以外にはほとんど商業らしい活動が行なわれている様子がうかがえません。 港に係留されている船も、レジャー用の個人所有の小型ヨットが中心です。


かつての栄華の面影を街並にとどめているとはいえ、1000年以上にわたり東洋と西洋交流の重要な役を担ってきた国際都市とは思えないほどの、現在の静かな港町としての落ち着いた美しさやのんびりとした開放感を目の当たりにすると、ある種の不思議さや違和感をおぼえつつ、この街の悠久たる歴史の営みに圧倒されそうにすらなります。。




オトラントの街でドーンとひときわ目立つ存在感を示しているのが、このオトラント城 "Castello d'Otranto" です☆
前回(コチラからどうぞ)ご紹介した15世紀末の壮絶なオスマントルコ軍との戦い(いわば "サレント版 元寇" とでもいった感じですが、地元住民が直接受けた被害はまちがいなく元寇以上だったことでしょう…)を経て増改築がくりかえされ、実戦向きかつ、かなり奇抜な姿をしたお城となっています。
お城好きの方はもちろん、とても見晴らしがいいので、お城に特別興味がない方でもきっと海辺の街歩きのようにオトラント城の散歩を楽しめると思いますよ♪  
(写真右: 海に面した城壁の上にあるおしゃれなカフェやレストランでひと休みするもよし^^)












こちらは昼間の顔 
オトラント城は、街が1480年にオスマントルコの侵攻をうけた後、以前からあった小さな砦を大幅に改築増強するかたちで1485年の着工から14年かけて築城されました。当時オトラントを含むサレント半島一帯がナポリ王国の領地であったため、ナポリ王フェルディナンド1世 (Ferdinando I°) の命令により、のちに築かれたレッチェ市のカルロ5世城 "Castello Carlo V" (カステッロ・カルロ・クイント。コチラです) と同じく、重厚で堅牢な城壁を特徴とするアラゴン様式で築かれています。
このころは強力化した大砲に対する防備がお城を建築するうえで重要なテーマだったんですねー


そしてこちらは夜の顔 
完成当時はきれいな正五角形をしていたそうですが、その後も100年にわたり度重なる増改築が行なわれたため、ずいぶんといびつな形となってしまいましたが、まぁそれもこのお城をユニークで味わいのあるものにしてて、いいじゃないですか♪ ^^


実際、じつはこのオトラント城は、18世紀の有名なイギリス人作家ウォルポールによって書かれた世界初のゴシック小説にも登場しているんです☆ 




恥ずかしながら『ゴシック小説』なんていう小説のジャンルがあることすら知りませんでしたが…『嵐が丘』や『緋文字』そして『オペラ座の怪人』などの名作にも影響を与えた神秘的、幻想的な小説の先駆けだそうです^ ^;) 
その小説のタイトルはズバリ『The Castle of Otranto 〜 オトラント城奇譚』! オトラントもなかなかやるなーって感じです
歴史や文化の交差点にあるこの重厚かつユニークなお城に作家もなにか惹かれるものがあったのでしょうか? ちなみにこの作者ウォルポールという人は、英国初代首相ウォルポールの息子さんだそうです。


話は脱線しますが、ウォルポールより150年近く前のイギリスで活躍したシェークスピアも、「オセロ」や「ロミオとジュリエット」に「ヴェニスの商人」、さらには「ジュリアス・シーザー」など彼の代表作の多くがイタリアを舞台にしていますよね。
小説家たちにとってもイタリアというのはたいへん魅力的だったようですが、それは現代の我々にとっても古今東西変わらないのかもしれません^^
さぁーてさて! それではお次はオトラントの歴史街区の中心に構える大聖堂へとむかいましょう! 
街の人々にはそのまま「La Cattedrale(大聖堂)」と呼ばれるのが普通ですが、正式には
Cattedrale dell'Annunziata (カテドゥラーレ・デッラヌンツィアータ)" という名をもつこの大聖堂が、石畳の通りを抜けると、奥行54m × 横幅25m もある堂々とした姿を現します(ちなみに、プーリア州で最大です!)。
朝日や夕日を浴びるとサレント特産のレッチェ石(Pietra Leccese)が乳白色に輝き、優しい雰囲気を醸し出し、また日中とはことなる表情をみせてくれます。


オトラントの大聖堂はオトラント城よりもずっと古く、1080年に12年の歳月をかけて建てられました。それから約1000年が経った現在、その外壁には修復が施されている部分もありますが、長いあいだ潮風に当たって浸食された石灰岩の壁の具合に歴史が刻まれています。


壁一面を豪華な彫刻の "レッチェ=バロック様式" で飾った、レッチェ市の歴史街区にある歴史的建造物たちと比べると、ずいぶんサッパリとした印象です。15世紀につけ足された出入り口のファサード(バロック様式)とその上にあるローズ窓(ゴシック様式)が浮いてみえてしまうくらいです(苦笑)


この質素な外観はおそらく、、当時サレント半島を統治し建設を指揮した、スカンジナビア半島→フランス→シチリア経由でやって来たノルマン人(Normanni =バイキングたち) が建てたから?…なのかな? 
現代でも北欧の家具や自動車や建築ってシンプルかつかっこいいデザインが多いですけど、かれらのご先祖であるバイキングも「シンプルイズベスト、質実剛健、機能重視」という気質の持ち主だったのかもしれませんね? つまり北方民族のモノ作りというのは伝統的に昔からそういう精神が貫かれていたんじゃないかなー?と、FraciaMacciaは勝手に想像していますが真相のほどは。。いかに???
おっとっと脱線ダッセン^^;)


では大聖堂の中へ入ってみましょーか…質素な外観からは想像できないような驚きがそこには待っていますよぉー
見てください、 広々とした大聖堂内部の床にびっしりと描かれたモザイク画が目に飛び込んできます!
このモザイクはヨーロッパではけっこう有名なもので、というのも床に描かれたモザイク画としてはヨーロッパ最大なんです☆


このモザイク画は "L'albero della Vita" (ラルベロ・デッラ・ヴィータ = 『生命の樹』) と呼ばれ、よくみると、さまざまな色のテラコッタや石そしてガラスなどの小片が組み合わさって出来ています。


Pantaleone(パンタレオーネ)という名の地元オトラントの修道僧のデザインのもと、1166年に4年かけて作られました(1993年に大規模な修復が完了しています)。
彼や地元サレントの職人たちだけでなく、ノルマン人(= バイキング) の石工やトスカーナの職人たちも遠路はるばるやってきて手伝ったそうですよ。




大聖堂の出入口の床、ちょうどモザイクの木の一番下の部分には作者Pantaleoneの名をハッキリと見てとることができます。そこから2頭の大きなゾウの背に乗った1本の巨樹が大聖堂の奥にむかってズドーンと伸び、左右に枝をひろげている姿はまさに圧巻です。。
(写真左: 生命の樹を支えるゾウさん☆…う〜ん、このゾウさんの鼻、なんかスリムでビミョーですね? 笑)


その巨樹の枝先からは、それぞれ四季折々の人間の営みや12星座(12ヶ月)、そして歴史上の人物や聖書に登場する人物が、たーーーっくさん描かれています。
たとえば。。。
← こちらは「アレキサンダー大王」。ラテン語で "ALEXANDER REX" と記してあるのが見えますか?
そのほか「アダムとイブ」、「カインとアベル」、「ノアの箱船」、さらには「アーサー王」などなど。。みんなそれぞれのキャラクターにちゃんと名前が書いてあってわかりやすいです^^


生命の樹の左にはもう1本の樹が伸び、キリスト教の「最後の審判」をテーマに描いている一方、右側にももう1本の樹があり、そこに描かれているのはギリシャ神話やスカンジナビアの北欧神話、また遠くペルシャ神話までもが題材になっています。


このように、キリスト教の大聖堂内にあるとはいえ、宗教や国家というイデオロギーを超えた人類普遍の出来事やテーマを広くとりあげているこのモザイクは、当時の人々がそれまで見聞きしてきた人類や地球の足跡を、後世の私たちに知恵のかぎりを尽くしてできるだけ万人に分かりやすく伝えようとしてくれているかのようで、力強く訴えかけてくるものがあります。
まさにその姿は「生命の樹」だなーと、ただただ納得するばかりです。


描かれている動物や人間の姿ひとつひとつをただ眺めるだけでも、その素朴でユーモラスな姿に親しみを感じて、思わず見入ってしまいますよー(笑)


写真では、このモザイクの大きさや雰囲気が十分に伝えきれないのが残念です…が、サレントに行ったらぜひオトラントの大聖堂へ足を運んで、ご自分の目で存分に味わってくださいね!
僕たちFracciaMacciaはひそかに、プーリア州から次の世界遺産が誕生するとしたら、レッチェ市のバロック建築群とならんで、このオトラントの大聖堂のモザイクがその最有力候補になるのではないかなー?って思っているくらいなんですよ♪☆♪☆♪


それと、この大聖堂の地下にある礼拝堂、Cripta (クリプタ) もお見逃しなく!この地下礼拝堂には42本の石柱が立っていて、その1本1本が産地の異なる石で、異なるデザインになっています。 なんでだと思いますか??









じつは、オトラント郊外にはその昔、学問所を兼ねた大きな修道院があって、ヨーロッパや小アジア、果ては北アフリカまで地中海をぐるっととり囲む世界各地から海を渡ってやってきた多くの若者たちが、集って学問に励んでいたそうなんです(大聖堂の床のモザイクを描いたPantaleone もこの修道院の修道僧でした)。

つまりこの修道院の図書館と学問所は11世紀後半創立、「ヨーロッパ最古の大学」だったのではないか?と多くの研究者たちに考えられています。 残念ながら例のオスマントルコの侵略を受けたとき、この修道院兼大学も壊滅的打撃を受け今ではわずかに跡が残るのみですが。。(現存する欧州最古の大学は、ナポリ大学あるいはボローニャ大学とされています。語学や医学や哲学など、学問により異なるようですね)
 当時オトラントで学んでいた学生たちはきっと何年間もずっと故郷に帰ることができなかったことでしょう… というわけでこれらの柱は、1本1本がそれぞれ地中海じゅうの国や地域を表しており、その各地からわざわざ集められた石で作ることによって、それに手で触れた学生や修道僧たちが故郷を感じてホームシックにならないようにしたものなんだそうです。


すごい話ですねー!皆さんも大聖堂の地下礼拝堂を訪れたら、お気に入りの柱を見つけてぜひ触れてみてください。往時の学び舎に思いを馳せてみるのも乙なものです^^
  
さぁ今回のオトラント散策もそろそろ終わりが近づいてきました。小さな港町オトラント、いかがでしたか?


南イタリア旅行とくにせっかくプーリア州を観光で訪れるならば、Alberobello(アルベロベッロ)止まりではもったいないですから、もうちょーっとだけ南下してサレント半島まで足を伸ばしてほしいです(だってプーリア州の本当の良さというのは、サレント半島のこういう海辺の小さな街にこそあると思うんです)。
ご紹介したオトラントも観光コースに加えていただければ、きっと素敵な旅行プランを作ることができると思いますよ


これからも当ブログ Cartoline dal Salento では、まだ日本ではなじみのうすいサレントの魅力的な街々を紹介していきたいと思います! ぜひ南イタリア個人旅行を計画される際の参考にしてくださいね♪ 


それでは皆さんも厳しい残暑に負けず、元気にお過ごしください♪ また次回お会いしましょう☆
Buon proseguimento d'estate e... non fatevi abbattere dal caldo! (^O^)/
ciaoooooo!!




★ 次回予告 ★
皆さんイタリアの野菜というと何を思いますか?トマト?そうですねそうですね♪
次回は、我が家のベランダ菜園でがんばっているイタリア野菜たちをご紹介したいと思います♪  お楽しみにー!




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